長くTwitter()をやっていると稀に怪文書が届いたりするもので、先日もコンテキスト度外視の謎なお誘いがあった。おそるおそるメンションを覗き、そのアカウントの表情をジッと見つめる。スパムなのか知人のいたずらなのか。共通の友人はいないがフォローはされている、自分より長いTwitter歴を誇るそのアカウントのリンク先は個人のTumblrに設定されている。あぁ、Tumblr、やぁひさしぶりだね。

お誘いの内容はおそらくインターネット老人会に関するなにかだろう、深く考えず受け入れることにした。ブログを決まった日にポストするだけ。なお、お題目は「Best of 2024」だ、と。

長く自転車競技を続けている

文面には「CXシーズン真っ盛りですね。ご活躍祈念申し上げます」とある。せっかくなので自転車競技の話をしてみよう。競技歴が25年ほどの私、序盤はMTB、途中からBMXをメインに、後半はシクロクロスのレースも嗜んでいる。レース活動は10年以上となり、それなりの試合数を走ってきた。

文字通りシクロクロスにハマっているのだが、活動にテーマがあり「原理原則に従い、正しい手順でハマってみる」を掲げている。趣味ゆえデタラメにやっても誰からも文句はないが、唯一自分がそれを許さない。俯瞰してシーンを覗き、コースを走るように最短距離で、ときにはコーナーを膨らむように走ってみて、結果的に早く目的地に辿り着く遊びをしている。

よい睡眠、よい食事、よい運動

強くなるために必要なことが3つある。

「睡眠」は本を読み、OURAやGarminなどのデバイスを使い、寝具を変え、空調を整え改善した。「食事」は管理栄養士に頼んでいろはを学び、自分で作り、計算をし、抜いて足して、とにかくよく食べ、身体の声を聞いた。「運動」は複雑である。とりあえずやってみて、疲れて、パワーメーターを買い、数字を取り入れ、なお疲れた。効率が悪いのでコーチを迎え、トレーナーのところへ通い、酷使と回復に努めた。仕事もあるので費やせる時間は長くないが、効率的に続けられていると思う。

成長をするということ

結果この10年ずっと右肩上がりだ。レベルが上がるほどその歩みはゆっくりとなるが、着実に自分の居場所を前進させている。また仲間も増え、私の活動を応援してくださるスポンサーが現れ、人様からの信頼をいただいている。アマチュアという枠からはみ出してはいないが、少しずつ10代だった自分が憧れていた存在に近づいている。

成長することに終わりはない。峠のタイムが縮むこと、レースで着用するゼッケンが若くなっていくこと、選手はいつだって前を向いていることが前提にある。昨日より今日、今日より明日といった使い古された言葉も、自分で体験するとしっくりくるものだ。今日も少しだけコンフォートゾーンから抜け出すことを望み、トレーニングと回復に努める。

予定調和の自己矛盾

ある日も仕事を終えてトレーニングを始め、本気で攻めて汗を流した。苦しいながらも耐えたことで少しだけ成長したはずだと自己肯定した。しかしこの一連の流れにすら日常を感じていて、ペダルを漕いでいる瞬間瞬間の辛さから一転、練習を終えたあとはスッと辛さを忘れて飯をガツガツ食っていた。

成長とは何だろうか。成長のために努力し結果を残すことすら日常になり、捉えようによってそれは予定調和と思えることがある。コンフォートゾーンを抜け出しているつもりが、コンフォートゾーンを抜け出そうとする行為そのものに居心地の良さを感じる自己矛盾に陥っている。

ご褒美も必要

こう言ってしまうと「スポンサードされていて、成長が予定調和だなんて失敬な!プンスカ」と怒られが発生しそうである。いやいや、時間を作り、有効に使い、コストもかけて努力をしている。そこには嘘偽りないのだが、オラもっと強えヤツと戦いてぇと思い、毎日が摩訶不思議アドベンチャー!か?と問われると疑問なのである。元来アスリートとはとても地味で、孤独で、毎日同じことが繰り返されるものなのかもしれない。

何年も掛けて目標を達成することにフルベットはしている。しかし自己矛盾に苛まれてしまうより、また別にモチベーションを維持する何かがあってもいいじゃないのかと思う。要は、時折のご褒美も必要なんだと。

去年は革ジャン、今年はヘルメット

突然だが、ご褒美とは良いものだ。それが何の役に立つのか、将来への投資になっているのか、そんな野暮ったいことを考えなくてもよい。なぜならそれがご褒美だから。

2年前は革ジャンを買った。ローカルシクロクロスの総合成績で表彰されたので、その足でLewisLeather大阪へオーダーしに行った。詳細は以下リンクへの寄稿を読まれたり。(https://kansaicross.com/entry/20232024bikintvreport

昨シーズンは更に総合順位を上げた。えらいこっちゃ。特別なものを手にいれるには充分な理由であり、何を買おうかと内心ホクホクしていた。

長年の夢を叶える

革ジャンは、アメリカ村のライブハウスで過ごした10代からの憧れであった。着れば自分を強く見せてくれるかもしれない、ちょっとでも背伸びしたかった自分には必須なアイテムだった。もう背伸びなんてしなくても良い歳になった今でも欲しいと感じるから、それはもう手に入れるべきだと自分を納得させた。

さらに遡れば、13歳で自転車競技を始めた自分が最初に憧れた存在、それはプロの選手たちだった。癖の強い面々が揃っていたが、自分にとってはずば抜けて格好が良かった。ファクトリーチームのジャージ、プロ仕様のフレームとコンポーネンツ、そして特別なヘルメット。一部のプロたちは「バンザイペイント」が手がけたワンオフのヘルメットをかぶってレースしていた。

アート作品を頭に載せて走る

いまが38歳だから、25年の時を経て当時憧れていたそのペインターにオーダーをした。現在は「倉科昌高」さんという個人名でアート作品を手掛けておられる。そう、完全にアートであり作品であり、それを頭に載っけてレースを走るのだ。あれこれ好みは伝えたが、おおざっぱには「脳みそ柄」でとお願いをした。できあがったのがコレ。

 
 
 
 
 
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施された塗装の細部に目を向ければ、それはとても美しく、奥行きがあり、角度により表情が変わる。しかし全体を俯瞰して見ると、ひとつの作品として完成されていて、それは生き物のようで、クリーチャーのようでもある。まるで自分の頭が地球外生命体に侵食されているようだ。

Best of 2024

世代なのか「バンザイペイント」を知る方は少数派だった。文脈まで理解してもらえればこの上ないが、作品そのものはレース会場で注目の的となった。

Photo by @herajica_

ひっきりなしに声をかけられるし、レース中でも「あのヘルメットさぁ………」という声が走っているこっちに聞こえてくるレベル。私が抱いた想いや念のようなものがバカらしくなるほど、この作品には力がこもっている。

ご褒美の言い訳

体たらくな自分でも、何かを達成したいと思って10年も続けるとそれなりに結果がついてくるものである。ただしそれは心境の変化に伴ってのことだった。努力という積み重ねは気持ちを鼓舞し本人をその気にさせるし、「勝利することが当然と思えた時に初めて勝利がやってくる」のかもしれない。そう思うとプロ選手たちにただ憧れていた幼い自分の気持ちは、今の自分に投影することができるのだろうか。

Photo by @herajica_

他方、自分自身の成長を詳細に理解し、ジッとそれを体験してきたのも唯一自分である。アスリートとしてマインドが形成されたのちも、憧れていたものや形はあまり変わらない。いくらアマチュアの趣味とはいえ、努力に対しての飴も必要だ。頑張った自分を自己肯定して、気持ちをライジングさせてやってもいいはずなのだ。だから、ご褒美はいいぞ。

(このポストは2024 Advent Calendar 2024の5日目として執筆しました。詳しくはリンク先をご覧ください)

 

ご褒美はいいぞ #2024AC2024

kossy


自転車歴20年の社会人アスリート。BMXパーク競技を経て泥の中をレースするシクロクロスへ参戦、ボーダーレスな自転車競技活動を続けている。Wilde Bikes唯一のサポートライダーとして国内トップカテゴリーを走る一方、本職では自動車整備業に従事。乗り物のほかコーヒー、銭湯、カメラにアウトドアなど、趣味は常に多彩でオーバーフロー気味。 Instagram / Twitter / Facebook


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