記憶の薄れないうちに書いておきます。
5月に参拝した島根の出雲大社に引き続き、先日伊勢神宮へ参拝してきました。
僕は小中高とカトリック、プロテスタントのミッションスクールで過ごしました。なので、所謂戒律というか聖書を基にした教えが必ず存在していました。しかし神道たるやそのような教典はあらず【八百万の神々が見ているぞ】という言葉では表現し難い世界観があり、ブログでも書き記し難いのです。
クリスチャンの友人によく「君は何を信じて生きているの?」と問われることがあるのですが、正直曖昧な表現しか出来ず、そこに歯痒さすら感じていました。彼らの信じるものは学生時代に痛い程理解したつもりですし、答えられない自分が恥ずかしかったんですね。
でもそれこそが “日本人たる” を美しく説明出来る理由じゃないかと思います。
聖書に記してある言葉も大事ですが、僕らが先祖や家族、または様々な出来事から学ぶひとつひとつが、この日本に続く神道の教えそのものであり「先祖は大事にしよう」とか「ご飯残したらバチ当たるで」とか、そういった学びが正に神道たる、日本人たるかと思います。しかしその教えの基準は各家庭様々。でもそれはそれでいいんだと思います。それが日本人の美徳だと感じます。
伊勢神宮を訪れて、立派に立て直された社殿には全くの言語が表示されていませんでした。教会やお寺には必ず何かしらの言語媒体が記してありますよね、しかしそれがないのです。これってメチャメチャ怖いことで、見ていて妙な不安を覚えました。それは1300年以上続く式年遷宮の歴史を表し、または先述、教典の無い世界観の表現とも言えるでしょう。
何れにせよ、感じることは多くて、今更ながら身近で手に入る書物で神道について改めて勉強し始めました◎
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