エコについて

TOKYOに向かっています。数カ月に一度行われる自社の研修、僻地に隔離され社会の侘び寂びを学ぶと言うものですが、雪の影響で新幹線は遅れ、早速にも隔離社会から逸脱しそうで堪らないので、たまには近況じゃないブログでも。

TLでエコについて話題が上がっていたんですが、これってみんなどう考えているんでしょうか。
パンクと出会って以来、原子力や自給自足生活など、よく判らないお題と格闘することが多かったのですが、ここに来てアンサーみたいなものが若干浮かんでます。
そもそもエコと言うもの自体、環境に配慮していそうなものという曖昧な言語表現ですが、何となく「物事の効率を本質的に良くする」という風潮だと思っています。
どういうことかと言うと、自動車で言えばHV車のように「一定の燃料をより効率よく使用し、より長距離を移動出来る乗り物」がエコとされ、そう考えればEV車の燃費と言うのは燃料車の比にならないほどの効率性があるという話です。EVで燃費と言うのもおかしな話ですが。
また家電ではより電気使用率が少なくても動くモノが、日常生活でもより無駄なモノを排除した人がエコロジストとされる訳です。
しかしながら行き過ぎた税金対策の様に、ガソリンが高くなると聞けば、スタンドの前でアイドリング、燃料吐き出しながら給油待ちするような、それはエコノミストでしかないような話も良くあり、そう考えれば本末転倒していると感じることも多いのが事実です。
話は変わって、ナチュラリスト達が原子力発電なんて人間のすることじゃない、止めろ!と声を大にして言うてると思いますが、あれは何なんでしょうか。日本は敗戦国で、教科書ですら原爆の怖ろしさを伝えています。そんな中で育った我々がそう思うのは仕方ない、正直自分も原爆資料館を幼い頃に訪れ、恐怖のドン底に落とし込まれた(そして震災も経験した。奇しくも今日は117ですが)1人で、原子力の怖ろしさをには随分考えさせられ、前働いていた会社の慰安旅行で原子力発電所見学なんてした時は本気で気分が悪くなり、外で皆を待ちながら疎外感を感じたもんです。
日本人として、原子力の否定肯定に右も左もないと思いますが、しかしながら、似非エコロジスト、エコノミスト達が口を揃えて原子力反対を訴えかけているのにはどうも納得がいかないのであります。
結局のところ、人間が原子力を発電に利用し出したのは分子原子単位での効率性を追い求めた結果であり、方向性は若干ことなるものの、HV開発やEV開発を行っていることとベクトル自体は全く変わらないと思います。
更に言えば、原子力が漏れたら大変だ!と唱えている人々が、必ずしも安全運転に徹しているかと言えば疑問です。要は、人間が自分の力で制御し切れない様なエンジンを積んだ乗り物を、さも得意げな顔でカジュアルに街中を運転している方がよっぽど多くの人を危険に晒すことになるし、エコロジーとはかけ離れた動きだと思います。
宇宙を基準として、原子レベルで言えば人間の存在も不安定甚だしい話で、そもそも消えて無くなれば良い、そんな話をすれば正しく本末転倒なので深掘りしませんが、そんなことよりも、エコロジストでナチュラリストと称して小食になったり、ベジタリアンになったとしても、出されたモノを拒否したり残したり、そんな個人レベルでの物差しが間違ってるのに、本質的な人類の繁栄なんか望めるわけもなく、主体的になるのは大事ですが、もう少し身近なことに物事を置き換えて判断をした方が良いなーと思う次第です。

と、まぁ人間と言うモノはマッチポンプ、本末転倒の繰り返して生きているようなもんですが、ここまで末期的な考えなんかしてる暇あったら人に好かれる方法でも考えた方が良いとも思ってます。こんな感じで座右の銘も晒してますので

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